オシ 13 Mar, 2023
ジャララバード
キルギスの前回
キルギスの鉄道は大きく2つに分かれており、
- 首都のビシュケクの部分
- 南部オシュのあたり
である。
前回2022年にはビシュケクに接続する鉄道に全線乗車し、撮り鉄も行った。
今回は南部のオシュ、ジャララバードの所を訪問した。
キルギス南部の鉄道
キルギス南部の鉄道は貨物のみである。
始めにだが、訪問したオシとジャララバードでは貨物は1日1本程度(夜中に走ってるかもしれないがそこまでは知りません)、運が悪ければ来ない事もありえる。
路線図
キルギス南部の鉄道は全てウズベキスタン鉄道に接続する。
- Osh 撮影済み
- Jalal Abad 撮影済み
- Kyzyl Kiya 未訪問
- Tash-Komur 未訪問
4路線があるが、
キルギス国内では相互に接続せず、ウズベキスタン国鉄に別々につながっている。全て支線のような状態である。
(3)キジルキヤ、(4)タシコムルは、筆者は訪問していないので断言できないが、旧ソ連では呆れるような過疎路線でも地味に走らせていることがあるので、多分走ってる気がする。
オシュ
キルギス第二の都市であるオシュは、国境駅 カラス-ウズベキスキーという駅から支線が伸びている。
このカラス ウズベキスキーという駅はややこしいがキルギス領である。
撮影地に行ったとき、30分程度ですぐ来た貨物。
これは相当運が良かったらしく、4日後に再訪し2時間半待ったが、貨物は来なかった。
背後の山々が見えているがこれもかなり奇跡で、普段は砂煙で全く見えない。なぜこの日に、中央アジアで空気がここまで奇麗だったのか分からない。
車両は 2TE10V 4571
1979年製 Voroshilovgrad Octoberrevolution Locomotive works
2ТЭ10В-4571 — Photo — RailGallery
普段見慣れたTE10Mよりライト位置が高く不自然に思う人も多いだろうが、こちらのTE10Vの方が古い形式だ。以前はビシュケクで活躍していた。
動画
ジャララバード
ジャララバードは、オシの北にある。
ジャララバード-オシの間にはウズベキスタンが跨っており、乗合バスでは大回りする必要がある。100kmで2時間強で移動できた。
拡大図
このジャララバードにも鉄道がある。
ウズベキスタン~ジャララバードの路線と、北西にある引き込み線が現役だ。
google の航空写真上では、北東方向にある村「Kairma」まで線路が伸びているように見えるが、実際はジャララバード駅すぐ北で断絶し、廃線となっている。
廃線跡の市街地部分はバザールとなってる。
タキ
ジャララバードでスイッチバックして北西へ行く路線は、ガスプロムの工場(?)に接続しており、筆者訪問時タキが走ってきた。
ChME3T 6662 は1999年CKDプラハ製だ。以前はビシュケクの方で活躍していたらしい。
TE10VもこのChMEもだが、ビシュケクからここまで転属してきたという事で、カザフスタン、ウズベキスタンの2国を通ってようやく同じ国に転属したと思うと面白い。
ジャララバード駅について
ジャララバード駅に入ってみた所、労働者にバレて、写真を消すよう言われた。現在のジャララバード駅は殆ど利用されていないにもかかわらず、監視カメラが大量に設置されている。
彼が言うには、監視カメラがあるから、自分が他人を見つけたのに何も報告しないとおかしいという話だそうだ。
また、ジャララバード駅は現在の駅の右半分で改修工事が行われている。写真右手に見える。
1日貨物が1本しか来ないような駅で、一体わざわざ近代的な改修を行うのは熱心なことだが、つまりこの貨物線が廃止になることは当分無いだろう。
古い状態の駅舎には、ソ連っぽい表示がされている。
Здесь. На привокзальной площади. 27 Мая 1920 года. Выступал на митинге с речью перед трудящимися видный деятель Коммунистической паратии и Советского государства.
Here. At the station square. May 27, 1920. A prominent figure in the Communist party and the Soviet state spoke at a meeting with a speech to the working people.
1920年5月27日にこの駅前広場で、共産党とソビエト連邦のえらい人が、労働者になんか話した。
М В Фрунзе フルンゼ
отсюда же он для (ここから同時に)
В И Ленину レーニンに
телеграмму н.00031 о положении в Туркменистане
今のビシュケクは昔フルンゼという名前だったが、その名前の由来の共産党の偉い人フルンゼが、人民とレーニンに対して演説を行ったということらしい!
駅舎内にはビシュケク発着の旅客時刻表が掲載されていた。なんで。
おわりに
キルギス南部の鉄道は旅客が無いので、そもそも乗り鉄出来ない。
貨物は、オシ、ジャララバードに関しては1日1本来るか、運が悪ければ全く来ないこともあると思う。
撮影コスパは悪く、ニートでもないとこんな所で撮る意味は無い。
また、雪をかぶった山脈が背後に見えて奇麗なものの、通常は砂煙で全く見えないため、ロケーションとしても別に良いとは思えない。
だがどうしても撮り鉄したいという人はぜひ挑戦して欲しい!