【廃線】東京都港湾局専用線 晴海橋梁の行き方

 

 

 

イントロダクション

 

どうもNSZ山本です。今回は東京のど真ん中にある廃線跡です。

廃線は関東圏よりも田舎の方が多いです。利用者が減らないからそれはそうです。

 

加えて都会で土地や建物か何かが使われなくなったら速攻で撤去され、売却されたり新しい建物が作られます。浄水場は都庁になるし、車両基地はゲートウェイになります。

 

しかし思いっきり23区内に廃鉄橋が残っている場合もあります。

 

例えば東京港港湾局専用線だ。

 

東京都港湾局専用線とは

 

東京港湾局専用線は1953年から1989年の間に運行していた4つの路線のまとまりです。

それらは、深川線、晴海線、日の出線、芝浦線です。

 

地図はwikipediaにあるので参照すると分かりやすいです。

 

 

歴史

 

1953年、深川線の小名木川駅から豊洲石炭埠頭までが開業しました。豊洲石炭埠頭は、現在の新豊洲市場がある場所です。

1955年、深川線から豊洲物揚場線という支線の最初の区間が完成しました。豊洲物揚場線は1959年までに全線開通しました。

1957年、晴海線が開通しました。

1958年、越中島駅が開業し、小名木川~越中島は国鉄線、越中島からが東京都の専用線の扱いになりました。

1959年、芝浦線が開業し、1961年に運行が開始しました。

1965年、日の出線の運行が開始しました。

 

 

1985年、豊洲物揚場線、日の出線、芝浦線が廃止となりました。

1986年、深川線が廃止。

1989年、最後に残った晴海線が廃止しました。

 

遺構のランドマークたる「晴海橋梁」は最後まで生き残った晴海線の遺構物です。

場所は中央区と江東区の間にあります。

航空写真モードで見ると鉄橋が思いっきり映っています。

 

 

都道304号のすぐそばにあります。道路橋の名前は『春海橋』とのこと。なぜか漢字を変化球にしてきてます。

 

 

行ってみた

 

 

実は以前からゆりかもめの車窓から微妙に見たことがあったので、気になっていたのです。

 

ほんとどうでもいいですが、この時余りにも金がなく埼玉からチャリでいきました。

今考えるとアホです。

 

やべえなこれ。

 

どう考えても不要物である橋が堂々と残っています。

 

コンクリートの部分は思ったより劣化していません。そういや白糠も結構残ってるので、コンクリートって頑丈なのかもしれません。

 

1989年に廃止されて優に四半世紀以上(撮影時点)経過してます。変化の激しい東京の中で異例事態です。

 

船の航行にとってはそれほど邪魔にはならないのかとは思いましたが、奥にある道路の晴海橋も低めなのでどっちみち良いということなのでしょう。

1957~89年までこの低さでずっとやってきたのだから今更急に船の背が高くなったりもしなそうですし。

 

 

背景の小奇麗な高層ビル群とは明らかな異質です。

しゃれたハイライズが今を謳歌する若者とすれば、この橋は黙して縁側に座し、表の景色を眺める老人を思わせます。

ここでは陸だけでなく、海さえも変化してしまいます。

 

トラスの色合いが良いです。素晴らしい錆びっぷりです。

それにレールが完璧に残っています。

 

どこか遠くからやってきた貨物が、港で積み替えられ、ここから目的地まで運ばれていったのでしょうか。

wikipediaによると、「晴海線の主要な貨物は、新聞巻取紙、輸入小麦、大豆、セメント、雑貨などであった」とのこと。

 

 

……….

 

晴海橋梁から越中島方面へ歩いていきます。

 

豊洲運河。

ここは橋脚だけが残っています。

手前が豊洲三丁目で奥が塩浜一丁目です。

 

 

……….

 

 

都道319号と平久運河の間にこんな線路跡ありました。

写真は2013年のものです。これは流石にマンション開発で消えました。

 

 

………..

 

 

越中島貨物駅の近くまで来ました。

 

場所はここ。

留置線跡が残っています。

 

ここには思いっきり線路跡が残っています。ホームっぽいものが出っ張っているのが見えます。

貨物線ですからホームでも旅客駅ではないです。

 

googlemapには「留置線跡」とありますがこのホームっぽい物の存在を見ると、

荷物の積み替えが行われていたはずです。

 

バラストは風雨にさらされて丸くなっていますね。

 


草に埋もれた感じがたまりません。

ここでスイッチャーや貨車やディーゼル機関車が行ったり来たりしていたはずです。

都会の狭い空に向かって立ち上るディーゼルの煙があったのです。

 

…….

 

なぜこんな土地が残っているの?

 

 

「東京都財務局財産運用部」との看板があります。都有地の扱いとのこと。

 

しかしここは東京駅までたった3駅の

京葉線潮見駅から徒歩15分の場所です。

超通勤圏。

立地的に売り払えばかなりいい値段になりそうな操車場跡がそのまま放置されているということです。

 

毎日片道ン時間通勤に費やしている私からしたら、私が住んでしまいたい所です(ぶつける相手の無い埼玉県民の怒り(じごう))

 

 

 

 

用途地域の問題?

 

ほぼ全ての土地には都市計画法によって用途地域が定められています。

皇居レベルになると定められてないです。

 

用途地域の決まりは「2階建ての民家しかダメ」とか『工場専用』などと制約を課します。

施設の種類が混在するのを防ぐためです。

 

ひょっとしたら用途地域の制約のせいで留置線が残っているのかと思い調べてみました。

 

 

都市計画図(用途地域等指定図)の閲覧【PDF】|江東区

こちらの用途地図の(4)

https://www.city.koto.lg.jp/390111/machizukuri/toshi/toshikekaku/documents/kotokuyoto2018_4.pdf

によると

留置線ホーム跡は準工業地域に指定されています。

 

 

「準工業地域は主に軽工業の工場等、環境悪化の恐れのない工場の利便を図る地域。住宅や商店も建てることができる。ただし、危険性・環境悪化のおそれが大きい花火工場や石油コンビナートなどは建設できない。」

なので、むしろ工場も家も店も建てられそうです。

 

用途地域は関係なさそうです。

 

 

 

問い合わせてみた

 

線路跡の空き地についてもう分からんので、「東京都財務局財産運用部」に電話で聞いてみました。

 

……

 

山本「こんにちは。江東区潮見2丁目の空き地について聞きたいんです。東京都港湾局専用線の跡地の場所です。」

担当者「はい」

山「使われなくなった線路用地がずっと空き地のままなのって何か理由があるんですか。」

「利用計画がないためあのままになっているんです」

 

確かに見るからに利用計画は無さそうです。

 

山「この先何か建てるような利用計画はありますか」

担「時々ぽつぽつと話が出ることはありますが、現時点で公に発表できる具体的に決まったものはありません。

 

話のトーンからまだしばらく空き地として放置されそうな感じでした。

 

「鉄橋について何かご存じないですか。東京港専用線で残っているものなんですけど」

「鉄橋?わかんないです」

 

 

運河の上は東京都財務局財産運用部の管轄外っぽいです。

鉄橋については不明です。

 

 

留置線も鉄橋も、開発や撤去をするならもうとっくにやってるはずなので、放置される所を見ると何か積極的に撤去する動きはなさそうです。

でも何かの拍子にいきなり撤去や開発が進む可能性はあるので、行くなら早めに行くことをお勧めします。

 

 

 

行き方

 

行き方はそう難しくはありません。

 

 

晴海橋梁は東京メトロ月島駅か、豊洲駅から行けます。距離はどちらからも900mほどです。

 

 

留置線跡はJR京葉線から1kmほどです。

 

 

草むした留置線跡があるあたりから渋い晴海橋梁まで歩いても3kmないくらいなので、散歩がてら行ってみてはいかがですか。

 

東京のお勧めスポットです。

 

 

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