イランはやっぱりきつかった。
困難はあった。一つ一つは細かい事で他の国でも発生しうる事もある。ただしイランではその困難が多いのである。普段-と言っても僕が言う普段はロシアか西欧だが-スムーズに旅行を遂行できるような環境が悉く欠落しているのである。
あれもこれも引っかかるのである。
マジでダメなのである。
スムーズなものは何もないのである。
名誉のためにイランの良いところも言っておく
①良い奴はいる
僕はどこかのネットのサイトでイランのバザールで全力で台車を引いているおっさんの満面の笑みが頭から離れない。その写真は今はググってもヒットしないんだけどそれが僕をイラン行きてえ!と思わせた。
実際にイランのバザールでは台車が行きかっていた。
台車を引くオッサンの話は置いておくとしてイラン人には確かに良い奴は居る。日本人大好きで店の商品をただにしてくれたおじいさん。バンダーアバス駅で迷ってたらどうしたと言ってくれた英語を話せるおっさん。イランの山脈のとあるド田舎で泊めてくれた小学校教師。シーメンスの機関車に招待してくれた運転士。
良い奴は居ます。いるよ。
街の表情はある
街の表情はあるって曖昧過ぎて意味わかんねえと思いかもしれないが写真をご覧頂きたい。
撮って出しである。イランである。
この雰囲気はヨーロッパとは違う。エキゾチックである。白人がアジアを面白いと、異国情緒があると思うのは理解できる。イランには白人の高度文明が失ってしまったものは確かにある。
確かに人間が多すぎて、僕は人間が嫌いだからよけるのはめんどいし面倒でかつめんどくせーなと思った。しかしそれだけではない。
我々が消毒し洗い流して消滅したものはある。
小児労働の禁止、大気汚染規制に始まる街中の自家用車規制、どんどん「良い」とか言われる、安全で快適でしかし脱色され人間味の無く、リベラリストが望んだのは死ぬまでのただのロボット、死にそうになっても医療がなんとかしてくれるさ、くだらないコピペ人生である。
しかしイランは皆が好き勝手に生存している。そしてどっかで死んでる。たぶん。僕の妄想かもだけど。
実際イランってどうなのさ
とはいえ人間素晴らしい!の綺麗ごとだけではすむまい。僕はネット人間で便利なデバイスに囲まれ、めんどい事は嫌いである。
実際イランってどうなのさはこれである。
不便。不便。また不便。そして嘘がある。
Booking comがない
そんな事は皆さん知っているだろう。しかし実際に直面するとかなりきつい。
安いホテルを探して街を彷徨う苦行。何度この言葉を僕は発したことだろうか。
「How much for 1 night single.」
重い荷物を背負ってホテルからホテルへ歩き回るのはきつい。まじで
昔の旅行者がいかにすごかったのかを理解した。もちろんホテルの値段なんざ気にせず何処に泊ってもいいよという人は関係ない話である。3つ星なら3000円程度で泊れる。ただ1000円から1500円の安宿を狙うと街を歩き回る必要がある。
キャッシングできない
キャッシングできず一々ドルからリヤルに変換する必要がある。これだけならまだ良い。両替所さえあればいいからだ。しかしイランの両替所は簡単に見つからないのである。以下。
両替所がねえ。どこだ。
キャッシングできないなら両替所増やせよ!!!!
無いわけでは無い。しかし見つけづらいのである。両替所がある場所がいまいちピンとこないのである。いやペルシャ語が読めない自分が悪いのか。そうかもしれない。両替できるまで3時間以上街を彷徨い1日の予定が狂った事があるがやはりペルシャ語を読めない私の落ち度かもしれない。
https://bonbast.com/
イランの実際のレートを確かめるサイト。
イランでは店舗は分散していた方が良いという考え方は無い。競合他社が近くにある場合倒産しそうだとか、出店をやめようとは考えない。考え方が全く逆なのである。
近くに似た店舗が密集していた方が、顧客はそれらを簡単に巡回して比較できると彼らは思っている節があるらしい。だから両替所があるストリートにはアホみたいに両替所がある。しかし観光客はどのストリートに密集地帯があるか知らない。分散型の方が我々観光客としてはありがたい。
これが「両替所が見つからない」の正体と思われる。
不親切。無視。
これはテヘランのバスターミナルのカウンターの特に男の殆どがあてはまる。テヘランの長距離バスは大量の会社がそれぞれバスを出しているらしくカウンターがあり得ないほど沢山ある。僕が行先が読めないのが悪いのもあるが、片っ端からTabriz?と聞いても No と聞いてどこのカウンターなのか聞いても、「しらねえ」「とっとと消えろ」みたいな態度が多い。挙句、正しいカウンターに行ったのに「No しらねー」というウザいアラブ人男すらおり、同じカウンターの横の女性がここでチケットを出すと言ってくれて事なきを得た。
暦がメチャクチャ
イスラーム暦なので意味不明である。列車の券を買っても本当にその日付で正しいのかびっくりするくらい不安になる。
さらにイスラーム暦にもいくつか種類があるらしく、googleで見たのと列車のチケットに書いてある日付が整合がとれていなかった気がする。本当に謎であった。勘違いなのだろうか…
列車がEチケットで買えない
これはつらい。イランの街から離れた駅まで買いに行かなければならない。しかも次項のように列車のキャパが少なく、発車当日購入だとほぼ確実に売り切れているために必ず前もって買いに行かなければならない。これがめんどくさすぎる。
列車のキャパが少ない
常にマージンを開けて走らせるというのがどんなにインフラが進んでいるか切実に理解した。線路の非複線化、車両の不足、機関車の不足、そもそもダイヤ変える気がないなど理由は様々ありそうだが僕には原因は不明だ。当日行って乗れないのはキツイ。例えば東京大阪の新幹線が10分前にいきなり乗りに行って 満席はありえない。盆正月は除くけどあれは国民の方がアホなので仕方ない。
RZDだってギリギリに買っても上段なら余っている。余裕を持って空席ありで走らせるのは国力なんだ。
うんざりするネット規制
一々VPNを起動するのが面倒だった。youtubeさえ見られない。Gigazineもだめ。BBCもだめ。
ただし規制されたサイトでもAmpだと見れる。そのサーバーではなくgoogleにキャッシュされているだけだからだ。これには笑ってしまった。いい加減もいい所だ。
酒
酒がマジでない。断酒の良い機会かもしれない。
ケンタッキー、マクドナルドが食えないのが辛すぎる。
酒より酷いのはこれ。アゼルバイジャンとイラン合わせて2か月一滴も酒を飲まないでもまあいいかなというレベルだった。
しかしKFCが無いのはなあ!耐えられねえ!最後にバクーで食べたKFCから1か月、体は欲していた。
値札がない
地味にめんどい。値札くらいつけろ。
一々店員に聞かなければならないのである。時には中国人をバカにしたような店員にも遭遇する。その手の輩に話しかけるのは苦痛である。しかし話しかけなければ値段は分からないのである。
ただしこれは「値段は場合によっては可変である」という認識なのかもしれない。例えば大量購入したら安くなることがドーナツ屋であった。30年ほど前に日本に出稼ぎに行ったという老人が店番をしている店へ行ったら、金を払うつもりが無料で持ってけになってしまった。そういうのもある。
嘘が多い
上記のように値札が無いわけだから嘘をつこうと思えば平気で嘘をつく。アイスが60円なのに200円だという女。100円程度の安飯なのに280円の上級のメニューで計上してきた女。黒い服を着ているから善良な宗教者のように見えるが只の力スビツチ女である。あんなのは他人から言われてるから着ているだけで善良の証ではない。
ただし思ったより売店でのぼったくりは少なかった気がする。
なんでそんな嘘を言うんだとツッコミたくなるような嘘もある。
謎嘘の筆頭「駅には切符売り場はない。翌日以降の切符は旅行会社で買え」
これはマシュハド駅のInformation カウンターで遭遇した。英語を話せる女だったがなんでそんなアホな嘘をつくのか理解できない。僕は人のいう事は信じないので駅を歩き回ったら切符売り場はあったし翌日の券を買えた。
女が、などとポリコレ的にアウトそうな枠組みで書いているが、ムスリム国家なのでむしろ女か男かはっきり書いても何ら問題ない。
コピペのようなイランの良い所自慢をする市民
シーラズ、イスファハーン、北部が緑が多くて良い!口を揃えて言う。たまにマシュハドという人も居る。イランの良い所を一々自慢してくるイラン人には多様性は無い。通り一辺倒なのである。あんまり繰り返し言われると逆に行く気が失せる。
コーランをコピペする文化で、人々の意見もコピペになるのだろうか。こっちは愛想とリップサービスでうんうん言って愛想笑いを張り付けるしかなくなくなるし、同じことしか話さない自慢をされるくらいならlonely planet のほうが役に立つ。
本当に、旅行ガイドには載ってないけど面白いスポットみたいなのが1つも人の口から聞けることは無かった。むしろ僕がイランの石積みアーチ橋を開拓したくらいだ。
大気汚染
イラン街中を歩いていて常に思うのは空気が汚い。自動車の排ガス規制が無いのか、トラックは日本では数十年前公害問題があった頃のトラックみたいな – 僕は見たことは無いけど- 大気汚染の資料映像みたいな黒煙を吐いていく。乗用車もなぜかガソリン臭い。
加えて煙草が臭いのはデフォルトだ。僕は受動喫煙で死にたい派なので煙草は問題ないが健康志向の人には相当きついと思う。まあ命が惜しいような健康志向がイランなんて国に来るとも思えないが。
おわり!
このように不自由が余りにも多すぎる。
海外旅行は不自由も楽しむ必要があると言われる。確かにそうだ。僕も知っている。しかし限度がある。これでは3メートルおきに信号機があるようなものだ。これでは目的地に着く頃に日が暮れてしまう。せめて苦難という信号は300メートルおきに設置してくれ。
しかしながらそれがイランなのかもしれない。単に僕が順応できなかっただけかもしれない。
順応した先に真のイランの楽しさがあったかも知れないが、僕は到達しなかった。