【廃鉄橋】興浜南線 御西川橋梁に行ってみた

 

 

 

 

イントロダクション

 

どうも山本です。

 

北海道は廃線跡の宝庫です。

国鉄時代は4000kmあった路線網が2500kmになったとのこと。37.5%の減少です。

 

国鉄の大清算が1983年頃から始まり、今や30年以上が経過しました。

 

北海道の広大な土地に残された路線跡は、特に利用価値も土地自体の価値もありません。30年経っていようが当たり前のように佇んでいる構造物もあります。

それらは航空写真から判別できます。

 

 

例えばこんな風に。

 

はい。

これは良くないですね。

 

こういうのを見つけると何が何でも行かなくてはならなくなります。知ってしまった以上は行きます。

航空写真の様子だとかなりしっかり鉄橋が残ってます。

期待できそうです。

 

 

御西川橋梁ってどこにあるの?

 

 

場所は道北、北海道雄武町です。興部町が隣にあります。

雄武町は人口4495人、

人口密度は7.06人/km^なので、香港の人口密度の1/959です。つまり田舎です。いいね。

 

雄武町 -wikipedia

 

目的の鉄橋は御西川橋梁という名前とのこと。

御西川橋梁は興浜南線という線路の跡地です。

興部の中心部から北東へ7kmほどの場所にあります。

 

 

 

興浜南線の歴史

 

1935年興浜南線、興部駅から雄武駅が開業しました。

1980年、国鉄再建法により第一次廃止対象路線に指定されました。

それから5年後の1985年に廃止しました。

 

興浜南線- wikipedia

 

1968年の時刻表によるとどうやら1日8往復あったようです。

 

 

 

行ってみた

 

季節は5月のゴールデンウイーク。

友人と北海道レンタカー珍道中です。

 

…….

 

オホーツクラインという渾名の国道238号線を法定速度で突っ走ります。

興部町内を通過しているとき、それとなく友人に話しかけます。

 

山「昨日スマホの地図で鉄道跡の鉄橋が残ってるの見つけたんだけど、寄ってみていい?」

友「良いよ」

 

友人の快諾を頂きました。付近で車を停車させます。

 

鉄橋の神はどうやらそう簡単に私を鉄橋まで導いてくれなさそうです。航空写真で見て夢にまで見た鉄橋は、どうやらこの草むらを突破する必要があります。

神という種類の生物は人間に苦難を与えることが大好きです。

 

……

 

山「なんかこの先にあるらしいんだよね。行く?」

友「嫌だ、藪漕ぎはしねえ。」

 

神からは試練を与えられ、友人は去りました。

孤独な戦いです。

 

 

西側からアプローチします。

藪を10分かそこらで突破すると前方に例の鉄橋が見えてきました。

 

 

草むらをかぎ分けながら、ひとつの重大な事実に気が付きます。

 

「スイフトのカギ持ってるの俺じゃん。やっべ」

私がレンタカーを運転していたため、キーを持ってきてしまいました。

 

万が一草むらにポケットから落っことしたり、自分が鉄橋から足を滑らせお休みになってしまったら、友人氏は鍵の無い車に取り残されます。

彼に対して余りにも無情すぎる仕打ちです。

そうなったらスイフトを見捨ててヒッチで帰って貰うしかないですが、一応生きて帰る決意を新たにします。

 

人間が歩行するに適していない場所へ赴く場合、車のカギは同乗者に預けることをここで教訓とします。

 

 

 

 

おお。

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああ

これよ

これ。

パーフェクト。

試練なんてどうでもよくなりましたマジで。

 

ケーヨーデーツーで買った安い運動靴で来てしまって登山靴で来れば良かったとか、ズボンに変なトゲトゲの草がくっついて藪に対する軽い憎悪が生まれたとか。

そんなこたぁね、どうだっていいんですよ。そう、鉄橋さえあればね。

 

 

 

1985年の興浜南線廃止から33年の歳月が過ぎました。

想像以上の保存状態。

 

通学の学生、魚や昆布の行商のおばあちゃん、都会へ出る若者、田舎へ戻る長男、これまで何十万人何百万人もの人がこの御西川橋梁の上を通りました。

通った人リストが鉄橋のアカシックレコードに刻まれるとしたら、今この瞬間私がその最後尾に名を刻みました。

 

 

枕木はところどころ朽ちて落ちています。

 

33年の錆。

 

 

 

 

横にある保守用の通路には所々穴があります。

 

 

 

 

東の方向を見ると、一面にオホーツク海があります。景観の良さそうな路線です。

 

 

 

 

線路跡は右にカーブしてそのまま南東の方角へ続いていきます。

 

 

下へ降りてみました。

水芭蕉に囲まれた余生。

規則的に並んでいたはずの枕木たちが、各自思い思いのポーズをとっていて、心を和ませます。

左から3番目の奴なんてめっちゃダラけてます。昼休みに机の上で頬を変形させながらつっぷしている寝不足の会社員みたいにダラけてます。

 

鉄橋の塗装年月日や施工業者が書かれた文字は読み取れません。

 

 

右がオニシ湖です。オホーツク海とは対照的に静かな湖面です。

 

塩分を含んだ風から守られているせいでしょうか。内側の塗装は、緑色が残っています。

 

 

なかなか見ごたえのある鉄橋でした。

 

 

おわりに

 

オニシってアイヌ語でどういう意味なのか気になったので調べてみました。

 

一説によると

オニシ湖や御西川橋梁のオニシは「o-ni-us-i」=「川尻・木・いつもある・所」

という意味とのこと。

 

です!

…….

 

もしここへ探索するとしたら、少なくとも軽登山靴くらいは履いていった方が良いです。あとツルツルした服もいいかもね。

ケーヨーデーツーで買った安い運動靴で突破はお勧めしません。

 

 

取材日:2018年5月2日

 

 

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