21世紀に残る、奇跡の木造橋【秋田県秋田市】

NSZ 代表取締役の山本です。

 

秋田県秋田市の中心部を流れる、一級河川「旭川」。

その支流のひとつに「太平川」があります。

 

そこで、

ある意味奇跡的な橋を見つけてしまった。

 

 

 

 

1.どこにあるの?

 

今回訪れるのは、県道41号線と太平川が交差するあたり。

秋田駅から2.3kmで歩いていこうと思えば行けます。

 

自治体区分では、秋田市広面と、秋田市桜の境目になっている場所です。

この場所に木製の橋が、俗世を忘れたかのように佇んでいます。

 

 

2.謙虚すぎる木造橋

取材日:2018年10月

何の変哲もない2車線の県道、秋田県道41号線をチャリで走っていたときのことです。

 

君は誰だ。

 

20世紀はとっくに過ぎ去り、平成も終わりに近づいているこの2018年(取材当時)に、

日常に溶け込み、ことさらに己をひけらかすことなく謙虚に佇む木造橋。

 

木の状態を見ると、比較的新しいように見受けられます。

 

木造橋と言えば、猿橋錦帯橋が有名ですが、

あちらが豪華絢爛なのに対し、

こちらは完全に対極の質素

どう頑張ってもこれ以上質素には出来ないだろうというレベルの超質素

あちらがビジネスクラスとすれば

こちらは硬座腰痛になること間違いなし。

 

撮影に要した時間はたった10分でしたが、その間に一般の通行人が5名ほど通行していました。

観光客におもねることなく、ひたすら地域住民の行きかう姿を黙って見守り、己の職務を遂行する姿、謙虚さ。

まさに東北のオヤジです。

(東北のオヤジがどんなものかあんまり詳しく知らんけど)

 

 

側面を見ると、なぜか川底まで虎ロープが垂れています。

これなら、川に飲み込まれかけた民草を救うことが出来るはずです。

太平川が暴れ川と化した時、人々を救おうという木造橋(名称不詳)の気概が伺い知れます

※ロープの用途は不明です。真に受けないでください。

 

橋脚部分はかなり古そうに見えます。

 

橋付近の民家の玄関からおばちゃんが現れたので、お話を伺ってみました。

 

山「すみませえん。この橋ってずっと昔からあるんですか?」

地元の人「そうだけど、去年ぐらいだったかな~ 新しく直したのよ」

山「だから木が新しいんですね」

地「そう、木造だけど、この新しい橋の下には、鉄骨が入ってるのよ。以前、洪水で古い橋が流れてしまって、しばらく通れなかったんだけど、この辺の人がそれじゃ困るということで、新しくしてもらったのよ。」

山「この橋は昔からあったんですか?」

地「大通りが出来る前は、こっちが旧道だったのよ」

山「やっぱりそうなんですね。今時、木の橋って珍しいから気になってしまって。ありがとうございました!」

 

どの洪水かは不明ですが、ここ1年前後の水害で、一度破壊されたようです。

橋脚は良く生き残ったな…

 

一回壊れて橋を新しく作るならRCか鉄骨にしろよ。

とツッコミたくなりますが、おそらく、

橋を再建しなければ→金は無い→橋脚は残っている→橋脚をリサイクルして低コストにしよう→でも橋脚はボロくてRCや鉄の重みに耐えられない→じゃあ前と同じ木製で良いよね

という流れが想像できます。

 

あくまで想像ですが。秋田って自治体の予算すくなそうですし。

お蔭である意味貴重な橋が生き残ったわけです。

 

 

話を聞いた地元のおばさんは、木造橋の真ん前にある「酒の福屋」の方で、昔からこの橋を見ながら商いをしていたそう。

現在お店は廃業し、普通の民家です。

 

……

3.検証、この橋は何時からあったのか。

 

国土地理院の地図検索表示サービス

で、検証しようと思います。

 

整理番号:TO842X コース番号:C12 写真番号:6
撮影年月日 1984/05/07(昭59)

 

1984年と言えば、ビックブラザーを愛していたり、月が2つ浮かんでいたころ。その頃の秋田市です。

丁度県道41号線を作る工事をしていますね。1984年では駅東はほとんど宅地となっています。

 

整理番号 CTO7523 コース番号 C47 写真番号 10
撮影年月日 1976/05/09(昭51)

 

県道41号線消えました。この道路を作るにあたっていくつかの家は立ち退いたようですね。

太平川の南側は、昔も現在も斜め45度の区画になっています。

 

整理番号 MTO629X コース番号 C4 写真番号 1
撮影年月日 1962/08/13(昭37)

 

地図検索表示サービスで表示できる、この地域の最も古い航空写真です。

本当に昔からあったっぽい。

 

地元のおばちゃんの「こっちが旧道」というのは大方合ってたっぽいです。

県道41号が木造橋の代替というよりも、県道41号は80年代に完成した全く新しい南北を貫く導線であり、

木造橋は、単に太平川の右岸左岸に密集する集落を結んでいた。それが昔からあったよ。というのが妥当そうです。

 

橋の目の前のおばちゃんの家が、その昔店を商っていたというのも、

太平川のこちら側からもあちら側からも客が来やすい位置からすると合理的ですね。

 

………

 

いつから木造橋存在するのかは結局不明です(古すぎて)

すみません。

 

…………….

個人的には航空写真に関して、1962年には太平川が蛇行して流れていたのが1976年には河川改修で三日月湖と化しているところとか、

1962年の秋田駅には機関車の方向を入れ替えるためだけにわざわざ駅東の田んぼをブチ抜いて引き込み線を敷設してるところが、、、こう、、、、好き。(語彙不足)(ヲタクの早口)

…………….

 

 

昭和の香り 

ひょっとしたら明治大正の香り

今に受け継ぐ秋田県広面の木造橋でした。

 

 

 

取材日;2018.11.12

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