休止した島村渡船、群馬県境島村 利根川沿いの変な飛び地 2020

 

行った日:2020.6.16 (Jun.16.2020)

 

 

群馬の飛び地

 

群馬県伊勢崎市境島村を知っているか。僕は通ったときにカーナビで知った。つまり知らなかったわけである。

毎回行き当たりばったりである。

 

境島村簡易郵便局があるところ。位置は利根川右岸で埼玉県に見えるが一応群馬県である。右岸なのに。

 

こうした利根川のあっちとこっちに埼玉と群馬が飛び地しあっているのは複数ある。

新町駅の近くの埼玉県上里町も左岸なのに埼玉県。熊谷市妻沼小島も左岸なのに埼玉県。加須市立北川辺もそう。そういや栃木県が異様に侵食している五霞町とかいうのもある。

利根川以外の川でも全国であるはずだ。

 

 

 

何の変哲もない田舎

 

これが境島村。

何の変哲もない田舎でコンビニすら存在しないような場所だ。行政区分が奇妙になっていなければ見向きもされなかっただろう。

群馬県であると主張するのはナンバーだ。ナンバーの地名は所有者の住所で確定で縛られる。いくら品川ナンバーがかっこよくても自分が住んでなきゃ基本無理だ。

そういうわけで境島村の民家に駐車してある車のナンバーをみれば群馬ナンバーである。さっきまでは熊谷ナンバーだった。

 

 

 

 

境島村

 

治水目的の河川改修により、地区は利根川を隔てて南北に分断され、埼玉県に接する地区南部は河川飛び地となっている。地区東部には深谷市横瀬地区の飛び地が存在する。 –wikipedia

だそう。

境島村の人口は2017年現在487世帯1239人とのことで少ない。ただし小中学校はちゃんとある。1クラスしかなさそう。

養蚕業がかつて盛んだったらしく、その工場の建物群が世界遺産-富岡製糸場の工場群の仲間として指定されている。富岡はほぼ全国レベルでの知名度があるのに境島村養蚕は対極なほど無名である。

とはいってもなんだかんだで世界遺産効果で訪れる人は多いのだろう。県道258号線を東へ走ると「右折禁止!駐車場無し」みたいな観光客を威嚇する看板が立っていた。観光地たまにあるあるで来てほしいのか来てほしくないのか良く分からない。

 

 

 

境島村渡し舟

 

ここでメインディッシュの渡し舟である。

行き当たりばったりなので先述の簡易郵便局で旅行貯金したときに、局舎内の観光地図を見て気付いた(おい)

 

これが境島村側(埼玉側)の船着き場。土手を上って下ると辿り着く。

 

 

境島村は群馬県から孤立し橋が架かっていないから、道路で行く場合埼玉県を一旦経由しないと伊勢崎の中心地へは行けない。地域の交通がつながっていないとまずいということで県営で境島村への渡し舟が県道扱いで存在していた。日本の自治体は細かい事を気にする几帳面である。

利根川に架橋されていないため、かつては群馬県道295号新地今泉線を代替する県営渡船(島村渡船)が運行されていたが、2012年4月1日より利根川を横断する区間は市道に移管され、島村渡船も市営に移管されている。-wikipedia

2012年までは県営。その後市営になっている。市営にするために県道をその区間だけ市道にしたのか笑

 

 

値段はタダ

タダで乗れる渡し舟にアツいロマンを感じる人民は世界人口の95%を超えている(大嘘)。そういえば富山新港港の渡し舟は渋かった。橋を架けるよりも船の方がコストや技術で容易だった時代の名残っぽくいのが良いんですよねぇ。

 

 

一発乗ってやりたいぜ。

 

 

だがしかし2020年(令和2年)

 

ウヤってた。

 

乗ることは叶わず。嶋村 渡し舟 でググれば現役時代の写真がいっぱい出てくるのでそちらをどうぞ(ぶん投げ)

島村渡船 – 群馬B級スポット

伊勢崎 島村渡船

 

過去の写真を見るとザ・ローカルって感じですねぇ

 

岸壁に至る道は崩壊している。

これのせいで運休になったらしい。

 

2015年9月の大雨による利根川の増水により、船着き場が被害を受けたため運休となったが、船着き場の修復が完了し、2016年5月15日の島村渡船フェスタ開催日より運行を再開することとなった[2]。 しかし、2019年10月の台風19号により船着き場や航路が被害を受けたため、令和2年度は運休となっている。 毎年5月の第3日曜日には「島村渡船フェスタ」が開催される。-wikipedia

 

左手の木造の岸壁にタイヤがぶら下がっている。船着き場に見えるが、砂で埋まって孤立した池になっている。

過去のブログを参照すると流木のある右手前側らへんが川へ至る航路で貫通していたはず。

 

 

先程の看板で250m先に船着き場の表記がこの先に変更されている。2015年9月の災害で破壊された船着き場というのは、ここの木の岸壁だと思われる。

 

 

ところで簡易郵便局の職員の話によると、船は人間に加えて自転車も輸送してくれてたそう。

船には時刻表が無かった。不定期運航で客が来たら乗せるタイプで、船が対岸に居る場合、呼び出す方法は赤い旗をあげるという原始的な方法だったとのこと。かっこよすぎんだろ。

 

 

 

この土嚢が置いてあるところ周辺が新岸壁だったようだ。だが2019年にまた破壊された。

 

 

 

 

飛び地の歴史

 

いつ頃まで利根川の流路の群馬県側に合って、いつごろから飛び地になったのか。

以下のサイトに何か有益な事が載ってないか見てみたんだが概論しか書いてない。「治水の始まり」「洪水との闘い」.. 役に立たねえ

水防・治水の歴史 | 利根川下流河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局

 

 

地理院の地形図

 

地形図で考証してみる。

 

1888/04/25(明21)の地形図(jk2178) -地図・空中写真閲覧サービス

国土地理院の旧地形図を見ると1885年(明治18年)の地図では利根川が1本みちでなく2本に分かれている複線状態だった。その2本ある利根川の真ん中に「嶋村」という地名があるからここなんじゃね?と思いたくなるが、よく見ると黒い点々の県境が書かれている。すでに明治21年の時点で利根川右岸に群馬県がある状態だったらしい。そうすると江戸時代レベルまでさかのぼるという事なのだろうか?

とりあえず、河川流路が南から北に移動したのではなく、南やら北やらいくつかあったうち、マイナーな流路を抹殺したというのが事実らしい。

 

 

1942/03/23(昭17)の地形図(C29B) -地図・空中写真閲覧サービス

1942年航空写真を見ると利根川の堤防が直線的で現在の状態のように確定している。境島村の集落は県道14号の橋の位置から見て西にあり、きっちり右岸、埼玉寄りに存在している。

 

なんでいつまでがきっちり群馬県側に収まっていたかは不明だ(役に立たないブログ)

 

 

 

町の図書館にまで行ったら分かっただろうがたまたま寄った時にこの妙な県境に気付いて寄っただけなのでそこまでしてない。合併前の旧境町の中央図書館が伊勢崎氏より資料がそろってるかね。今回は休止しているという現状報告ということで

県境なんて普段気にしないけど、こういう面白い場所もあるんですねえ。

おわり!

 

 

 

 

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