【国際紛争】コソボ・セルビア間の国境は一体どうなっているのか

 

 

 

 

イントロダクション

 

お疲れ様です。NSZ山本です。

今日は、国境が確定していない変な街です。

 

国境なんて本当に恣意的でしかないことが実感できます。

本文どうぞ。

 

 

ユーゴスラビアって何

 

まず、コソボとセルビアの関係を知るには、

大本となるユーゴの話からしなければなりません。

 

 

ユーゴスラビアはバルカン半島の付け根にあった国です。

イタリアの右にあると思えばイメージしやすいです。(小学生以来今だに右とか言ってる)

 

ユーゴスラビアは多数の宗教、多数の民族が共存していました。

イスラム、ローマカトリック、プロテスタント、さらに東方教会など40の宗教がありました。

 

ユーゴスラビアは6つの共和国に分かれていて、セルビア社会主義共和国の中にはさらに2つの県と自治州にわかれていました。

現在の国境とほぼ同じです。

 

 

    • ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国
    • クロアチア社会主義共和国
    • マケドニア社会主義共和国
    • モンテネグロ社会主義共和国
    • セルビア社会主義共和国
      • コソボの社会主義自治州
      • 社会主義自治州ヴォイヴォディナ県
  • スロベニア社会主義共和国

 

 

ユーゴスラビアの期間

1918-1941、1945-1992

 

 

1941年から1945年の間は、ユーゴスラビア政府はユーゴスラビア国内にありませんでした。

ユーゴスラビアロイヤル空軍や国粋主義者によってクーデターが発生したためです。

その期間、政府は「ユーゴスラビア亡命政府」としてロンドンにありました。

Yugoslav government-in-exile -wikipedia(en)

 

 

 

分離

 

1950~80年代初頭にかけてはユーゴスラビアの経済はうまくいっていました。

他の社会主義国家と比べてユニークなシステムであったユーゴスラビアでは、工場や労働者組合の意思決定が(社会主義にもかかわらず)それほど中央集権化されていなかったことが、成長の要因かもしれません。

 

しかし、1970年代以降の石油危機はユーゴスラビアに混乱と失業をもたらしました。

西側諸国からの資本調達によって借金が生まれました。

89年には248社が破産し、8.9万人が解雇されました。

1990年にIMFプログラムが採択されました。この影響でさらに悪いことに52万人を雇用している889社が破産しました。

 

これらの絶望が分離独立へのターニングポイントでした。

 

 

1990年代にこれらの共和国は社会主義を放棄し連邦からの離脱を望みました。

1991年 スロベニアとクロアチア

1992年3月 マケドニア

1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナ

2006年 モンテネグロ

それぞれの国がユーゴスラビアから分離しました。

 

 

Yugoslavia wikipedia(en)

 

最後の分離コソボ

 

コソボは2008年にセルビアからの独立を一方的に宣言しました。現在もセルビアはコソボを自国領と認識しています。

 

コソボからしたらそんな事は関係ありません。

去年、(2018年)は独立10周年として首都プリシュティナはお祭り騒ぎでした。

 

 

日本国政府はコソボを国家として承認しています。

 

 

コソボ紛争

 

コソボ紛争は1998年2月から1999年6月の戦争です。

 

当初はコソボの独立を阻止するためのセルビア軍と、コソボを解放しようとするコソボ解放軍による対決でした。

そこに1999年3月にNATOの介入したことで泥沼と化しました。NATOの空爆と言えば思い浮かべることが出来ると思います。

 

セルビアVSアルバニア系解放軍 + NATO(アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、、、多いので以下略)ということですから、

セルビアは今で言えば北朝鮮状態です。世界全部敵ですからね。

 

99年6月で終結し、NATOとコソボ側の勝利となりました。

このコソボ解放軍(Kosovo Liberation Army)は旗からもわかるように、コソボ自体がアルバニア系ですし、アルバニア軍から多くの支援を受けています。

さらに、この勝利にはアメリカからの多大なる武器支援があったとされます。

 

 

コソボ10周年の記念の祭りでは、コソボ解放軍の旗とコソボ国の旗の他に、何気に米国旗が見られました。

コソボ人の人に聞くと「アメリカには大きな恩がある」みたいなことを言っていました。

 

 

コソボ紛争は

この紛争ではいわゆる「人道的な爆弾」が使われたとか(一応公式では「汚い爆弾」はなかたことになっている)。

また、アメリカ軍がどさくさにまぎれて中国大使館を爆撃しちゃった。

とか

 

その他の暗い面はもう省きます。

War crimes in the Kosovo War – Wikipedia

 

……

 

 

 

 

 

 

 

国境近くの街ミトロビツァに行ってきた

 

 

コソボ10周年の記念日の数日前、

ミトロビツァというコソボ北端の街に行きました。

 

ミトロビツァはミトロビツァ地方(District of mitrovica)の中心の街です。

 

地図上では全然コソボ国内に見えますが、

実は

実質的な国境の町になっています

 

 

 

 

ミトロヴイッアの中心地にある広場。

何気にハッシュタグなのが笑えます。

 

…….

 

 

ミトロビツァ市中心部を流れるイバル川。

ここが実質的な国境になっています。

 

場所はここ。

ミトロビツァ市の南側はコソボです。ユーロが使えます。

川より北側は実質的にセルビアです。

 

特に検問はありません。

普通の橋としてトコトコ歩いて行けます。

穏やかな川です。

 

……

 

北を見ると、隣の山が見えます。

その山頂をよく見ると…

 

コソボの国旗を見下ろすように立つセルビアの国旗。

只の布に大きな意味があります。

 

 

セルビアの旗がある山は山ではなくてZvecan fortressという要塞です。

要塞が位置する場所はgooglemap上でも社会科の地図でもコソボ領です。

 

ですがイバル川を挟んで北側は実質セルビアなのです。

要塞に立つセルビア国旗がそれを示しています。

 

 

 

なんでこんなことになっているのか

 

コソボ国内の民族を説明するためには、まずセルビアとコソボの民族を知る必要があります。

 

セルビアの民族構成はセルビア人が83.3%です。

Serbia -wikipedia

 

 

コソボの人口は約1.9~2.2百万人です。民族構成は

  • アルバニア人:88%
  • セルビア人: 7%
  • 他の民族グループ:5%

です。

kosovo -wikipedia

 

図にするとこんな感じ。

セルビアにはセルビア人が多数派です。そしてコソボにはアルバニア人が多数派です。

 

。………………

 

 

コソボ国内のアルバニア人が88%。

残り12%のうちセルビア人が7%です。

 

これらの人は戦争の恨みからかなり迫害を受けているとのこと。(まあそりゃそうだよね)

コソボに住むセルビア系のおばあさんと話したのですが、アルバニア解放軍に夫を殺害され、息子は拉致されたなんて話も聞きました。

かなり対立が根深いです。

 

7%のセルビア人はコソボ国内で散らばっているのではなく、一定の地域に集まっています。

 

 

 

セルビア系が多い地域の地図。

 

Community of Serb Municipalitiesを元に作成しました。セルビア地方政府集団と直訳できます。

 

「セルビア地方政府集団」コソボ国内にあるセルビア系地方政府です。コソボ国内でセルビア人が多い10の地域の地方政府ので構成されています。

セルビア人系の多い地域の政府同士で連帯しているようです。

 

地域セルビア人%アルバニア人%ほか
Gračanica/Graçanica67.723.29.1
Klokot/Kllokot43.256.30.5
Leposavić/Leposaviqiq96.31.62.1
Novo Brdo/Artanë46.452.41.2
North Mitrovica76.616.66.8
Parteš/Partesh99.900.1
Ranilug/Ranillug95.54.20.3
Štrpce/Shtërpcë46.552.80.7
Zubin Potok93.36.7
Zvečan/Zveçan96.12.1

 

 

これらの地域ではセルビア系の人口が40~90%台にも上ります。

一番上のGračanica「グラニッツア」はグラニッツア修道院で有名かと思います。そこもセルビア系が集住しているところです。

 

 

そんなわけで

North Mitrovica(ノースミトロビツァ)はコソボなんだかセルビアなんだか分からない

奇妙な場所になっています。

 

 

 

 

どっちつかずのちょっと無法地帯と化しているので、ナンバーがなかったりします。

 

行政の統治が行き届いていないことを示しています。

 

 

通貨はセルビアのデナリを使っています。

(コソボはユーロです)

 

トースト100デナリ、約1USD。

 

しれっと留まっているKFOR=コソボ治安維持部隊の車。

 

 

 

国境なんて本当に恣意的なものであると実感できます。

特に暴力が横行しているみたいな危険地帯ではないので、もしコソボに行く機会があったら、首都プリシュティナだけでなく、

色々な地方に行ってみてください。

 

ただ、コソボは確定していない国です。

「国際法上コソボはセルビアの領土であり、コソボの独立権は認められていない。このため、こうした国際法上の疑義によって、コソボ独立に反対する立場がある。アルゼンチンなどはこのような立場からコソボの独立に反対の立場をとっている。これに対して、コソボ独立を支持する側は、この決議にはコソボ独立を禁止する条文もないとしている。」

コソボ地位問題

 

コソボ国籍だと他国に行きにくいという現状があるらしく、首都ミトロビツァはともかく、地方の街に行くと珍しい外人と思われてわいわいされることもあります。

 

ユーロ€なので領買いしなくて済むので楽ですよ。(そういう問題ではない)

 

 

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