どうもNSZ山本です。
googleの航空写真を家または会社の暇な時にネットサーフィンして見ている時、おやと気付くことはありませんか。
地球上のいくつかの場所には異常な地形がみられます。
例えばこいつ。場所は横浜市泉区です。
一体なんだこれは。
宇宙人か?アブダクションか?
いやまたは
隕石か?ツングースカか?
あるいは
陰謀かこれは。地図から消えた町か?組織に逆らったのか?
明らかに周囲の雑然とした住宅地と違います。住宅地の中にも開けた施設で、公園や学校などの広場があります。それらは色が違うので分かります。
しかしこの円形は、その色が違う範囲が明らかにおかしい。規模がおかしい。
直径約1km。
これはある意味大物かもしれない。
深谷通信所跡地
接収年月日:1945年(昭和20)9月2日
返還年月日:2014年(平成26)6月30日
土地:777,747m^
69年にわたって米軍所有であった土地とのことです。横浜市には深谷通信所の他にも9か所米軍の施設があるとのことです。
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施設には、建物等が所在するフェンスで囲まれた区域とフェンス外の区域とに区分され、フェンス外側の区域の一部は野球場、ゲートボール場、市民菜園として周辺住民に利用されていました。また、施設を縦断する県道阿久和鎌倉が通過しており、返還前から通行が認められていました。 |
歴史
- 1945:旧日本海軍の通信施設が米軍により接収
- 1970:敷地内の現地司令官により耕作を許可
- 1979:広域避難所に指定
- 1994:県道阿久和鎌倉の歩道が完成
- 2004:日米合同委員会において、返還の方針が合意
- 2010:米軍の警備が日中ゲートでの在駐による警備から1日2回程度の巡回による警備に変更
- 2014:深谷通信所の全域が返還
- 2015:「旧深谷通信所公共空地利用管理運営連絡会」を設置し、野球等の利用を
- 2018:「深谷通信所跡地利用基本計画」を公表
上の横浜市サイトから要約
歴史を見ると元を辿ると海軍の施設だったとこと。
米軍に接収された後、米軍用地であるままに農耕が許可されたというのは、成長期の人口爆発を反映してのことでしょうか。ひょっとしたら陳情があったのかと推察できます。
完全に返還されたのが2014年とかなり最近の出来事だったのですね。1年後、野球場として使用が始まっています。
そんな深谷通信所が一体どんな場所なのか。多分だだっ広い何もない場所だけど。
解明すべく行ってみました。
これが深谷通信所跡地だ
広い。まるでケニアに来たような気分だ。ケニアに行ったことないけど。
とりあえず通信所の最もメインの中心部に行ってみます。
スピードガン
やばい。元軍用施設を撮影しまくる不審者たる僕を取り締まるために警察が!
じゃなかった。
日本は撮影ほんとゆるいですからね。というか既に跡地だし。
深谷通信所の中心に県道402号線が走っています。カーブが少なく信号があまりないので警察が市民を餌食にするには最適です。深谷通信所に早く会いたくてアクセルをガン踏みする廃墟マニアが餌食になると思うので、いくらわくわくしててもアクセルは緩めておくか3速でチンタラ走りましょう。
実際にはベンツのSUVが餌食になっていました。
奥に見える通信所の門は厳重に閉鎖されています。
山「忙しい所すみません。そこ閉鎖してますけどまだ使ってるんですか」
警「跡地だから使ってないと思うよ。」
閉める理由もないけど開ける理由もない。荒らされるよりは閉鎖しておくという感じでしょうか。
廃墟
跡地と言えば最も気になるのは廃墟です。この通信基地跡には立ち入り可能区域には廃墟建屋はあまりありません。廃墟は柵と有刺鉄線に囲まれた中心部の中にあります。
柵の中にはいくつか廃墟が見えます。
倉庫でしょう。中に入ってみることは出来ません。
いかにも昭和に出来た施設らしい雰囲気の平屋。柵の隙間から見る事が出来ます。
電気設備
敷地内北側にある電気設備です。用途は良く分からないんですが変電所でしょうか。
米軍の看板
敷地内の立ち入って良い範囲内に、米軍の名残がありました。不思議な看板です。
ガムテープでバツを付けた跡がありますが消えてしまいました。
かつての看板が放置されています。
「此処は米軍用地に付き此等の道路の使用は固く禁じます。又、侵した者は日本の法律により処罰されます。但し、此等の地区にて農作業の古歌をされた方々は外されます。」
「基地内への護美の投棄も禁止されています」
護美と書いてゴミと読む。全体的に漢字を多用。文豪ストレイドッグスみたいな中二病感ある表現でイけてます。
歩道
このように立ち入り禁止の看板がいくつもありますが、実際には遊歩道が整備されていて、中を歩くことが出来ます。
横浜市政策局基地対策課が平成31年4月に貼った地図があります。公式に歩くのが認められていますが、灰色の場所は立ち入り禁止のようです。
通信所跡地内の道路を歩いているとき、
地元の陽気そうな中年のおじさんと話してみました。
山・おじさん「こんにちは」
山「いい場所っすねー」
お「そうだよね。アスファルトがいつの間にか出来ててね。」
山「そうなんすか。それはいつ頃ですか」
お「うーん1年くらい前かな、いつの間にかアスファルトになってたんだよね。あと最近サッカーコートが出来たよ。徐々に整備してるみたい。」
山「そうなんですね。色々ありがとうございます。」
立ち話でそこまで突っ込むのもあほらしいのでとりあえず2018年ごろアスファルト舗装が出来たようです。
米軍の人がヨガここでやっていることもあると陽気なおじさんが言っていました。
サッカーコートはごく最近出来たようで、2019/08/04にgoogle航空写真を確認したところ写っていませんでした。
構内マップ
せっかくなので、全ての出入り口と道を通ってみました。
深谷通信所の構内地図(何が構内なのかは知らないが)を作ったので、目が覚めたら深谷通信所だった時に役立ててください。目が覚めたらいきなり深谷通信所なんて実際ありえないだろと思われるかもしれませんが。
- 異世界に転生しそびれて深谷通信所に起きたら転送されてしまった場合。
- 恐ろしい団体にクロロホルムをかがされ酩酊し、東京湾に投入されそびれて深谷通信所に放置されてしまった場合。
といったケースが考えられます。
A1~C4は私が勝手にふっただけです。
A1出口
A1は通信所正門前のすぐ横にあり、最も中心にあります。
ウェイ焚火を牽制する注意書き。「たき火禁止/たき火が原因で火災が発生」
「右のサインを読みなさい」というのが如何にも米軍翻訳した感がありますね。
ただ紹介するだけでしかも記号だとつまらないので、出口に愛称を付ける事にしました。
A1は「極度乾燥しなさい」に決定。
A2出口
A2は神奈中「高砂苑前」バス停のすぐ横です。
このだだっ広い通信所の中で珍しく木陰があるオアシス的存在。良い雰囲気です。
A2「ネコバス」
A3出口
A3の敷地が広い側=西側の入り口です。ここは野球場のすぐ近くです。
神奈川中央交通「住宅前」バス停でもあります。
A3敷地が狭い側、東側です。奥にバス停名の由来と思われる県営住宅が見えます。
こちら側には最近出来たと地元のおじさんが言うサッカー場があります。見づらいですが写真左です。
左に野球、右にサッカー。A3出口周囲には子供たちの夢が詰まっています。
A3「身長140cmの世界」
B4
B4は唯一まとまった森になっている場所です。体感温度が違います。そして例の護美の看板がある場所はここです。
この人目につかなさからゴミ-いや護美が投棄されてしまっていたのかもしれません。
B4「護美の森」
汚いはずなのに漢字の字面が綺麗すぎて、まるで森を守護する秀麗なユニコーンを連想します。護美とはさっぱり人を混乱させる単語ですね。
B5
B5は舗装されずに残っている小道です。私はこういう道が温かみがあって好きです。8/2に行っているので温かみどころか実際には腐れ猛暑です。
出口付近にはBMWが止まっていました。
B5「私と小鳥とBMW」
私が両手を広げても空は飛べないが、飛べる鳥はBMWのように地べたを速く走れない。ポエム。
B6
このB6出口は特徴はそんなにないのですが、、
ここから入ると何らかの三角形の標識が残っています。
A、Bを含む西半分は終わったので、東半分のCに移ります。
C1
C1には地元民がお花を植えたらしく、かわいらしい花があります。
C2
C2から入ると、木の形状がアフリカみたいですが、ここは横浜です。
柵として使っているこの木の柱、下の方が何故か焦げた家の跡みたいになっているのが気になりますね。灼熱の異常気象で自分が燃やされてしまったと勘違いしてしまったのでしょうか(なわけあるか)
生きている木がアフリカっぽかったし、
C2「灼熱のケニア」
C3
C3から入ると、樹木がトンネル状になっていていい雰囲気です。
ウクライナの愛のトンネルを彷彿とします(するか?)実際愛のトンネルと比べるとかなりの短さというのが気になりますね。
とりあえず、C3は
“tunnel of love for 3 seconds ~3秒で破局” にします。
B1~B3,C4
B1.B2.B3.C4出口です。彼らはあまりにも特徴が無く渾名も思いつかなかったので、一気に片付ける事にします。
- B1「エキストラ」
- B2「エキストラ」
- B3「エキストラ」
- C4「エキストラ」
以上、2019年深谷通信所跡地遊歩道コンプリートでした。
チャリだったのでそれなりのスピードで回れました。徒歩だと結構時間かかるかもしれませんね。何せ直径1kmですから。
整備計画
徐々に整備が進められています。
深谷通信所中央付近に看板があります。
運動公園と災害時には防災拠点にできるようにする予定。
平成30年2月に「深谷通信所跡地利用基本計画」を策定しました。
2つめのリンクから引用します。
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これまでに横浜市が策定した「米軍施設返還跡地利用指針」や「横浜市米軍施設返還跡地利用行動計画」、深谷通信所返還対策協議会をはじめ地元の皆様を中心に跡地利用に関していただいた様々なご意見やご要望を踏まえ、様々な機能や施設の導入を検討して、平成29年7月11日に「深谷通信所跡地利用基本計画(案)」を公表し、その後、市民意見募集を行いました。 今回、いただいた市民意見をとりまとめて、跡地利用の基本方針として「深谷通信所跡地利用基本計画」を策定しました。 |
平成29年7月11日に「深谷通信所跡地利用基本計画(案)」を出し、そこから市民の意見を取り入れて「深谷通信所跡地利用基本計画」が出来たとのこと。
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国と管理委託契約を締結し、市民生活上必要な通路や周辺の皆様が利用している広場のほか、野球等で暫定利用しています。 |
現時点でも野球の利用があります。B3付近の野球場です。
スケジュールは20年の長期を予定しているらしいです。平成30=2018年から20年なので2038年ですね
5年で各施設基本計画・設計、環境影響評価、都市計画手続き→都市計画決定
15年で用地取得、整備→部分併用、完成
だそうです。
「※公民連携や民間活力の検討を行い市負担の削減等に努めます」などとやたら予算を気にしている節が見受けられます。
残念ながら最終的に中央の米軍廃墟群は消滅してしまう計画らしいです。
せっかくなら開放して廃墟を見せてほしいものです。しかし、解放したら夜中に変にたむろされるでしょうし、廃墟を見せてくれるのは難しいかもしれません。
現在暫定利用している野球場やサッカーコートは、完成形の地図には反映していないので、一時的なものでしょう。
おわりに
深谷通信所いかがでしたでしょうか。
横浜地元の友人に「これから深谷通信所へ行く」と告げると「なんもねえよwww」と言われました。彼は深谷通信所を通る県道402号を頻繁に通ったのは昔だそうで、まだ跡地利用が始まっていない米軍用地だった頃のイメージがあったのかもしれません。
私が見た限り2014年の返還から5年が経過し、スポーツのための施設がかなり多く暫定とは言え跡地利用は進んでいるような気がしました。
興味深くて行く価値がある場所と思います。なにせ地図上、航空写真上で直径1kmが吹き飛んだような場所に行ってみるのは面白い事です。
私は満足しました。
公共の交通手段は神奈中の大船駅西口から通信隊前バス停まで260円で行けます。
ぜひとも神奈川県に行く機会があったら寄ってみてください!
了
撮影:Aug.2.2018