当ブログは有用な情報ブログなので、これから行く人の役に立つようナゴルノカラバフの観光ガイドを記す。
訪問2020年2月
エレバンからナゴルノカラバフまではマルシュで3000AMD=1200円程度。値段は安いけど5時間以上かかる。アルメニア南部もそうだがカラバフもほとんど山岳地帯なのでバスに乗っていると険しい山が車窓に写り続ける。
自分はゴリスで宿泊して早朝ゴリス発のバスでカラバフへ向かった。
ゴリス(アルメニア)
ところでゴリスは2*1km程度の広さしかない小都市だ。
ゴリスの周辺の見どころはタテブのケーブルカーやԽնձորեսկի ճոճվող կամուրջという吊り橋とその土地の奇岩郡などまともで魅力的な観光地もあるんだが、ここで紹介したいのは写真のような笑えるくらいソ連感ある街並みだ。ゴリスの魅力がたいそう伝わったに違いない(宣伝工作)
ゴリスからステパナケルトへのバス停車場所はあるが、バス停ではない。時刻表もよくわからないが10時くらいに出発した。海外旅行はなにが何かわからなくても気にしないことで気楽なる。
ゴリスからステパナケルト 2000AMD
ナゴルノカラバフ入店
チェックポイント
乗客は自分以外はすべて地元民だった。自分のみバスから降りて警備兵詰所に行く。難しい審査はなくパスポートを渡すとビザと滞在許可の用紙をもらえる。バスの客も運転手も早くしろよみたいな感じだった。
STEPANAKERT
ステパナケルトは小さな町だから迷うことは無い。アルメニアからきて到着するのは中央のバスターミナル。北東から南西へメインストリートが伸びていてそこにレストランや店が並んでいる。南西の方に行くと聖堂と博物館がある。北東に行くとWe are Our mountainsの像がある。
バスターミナルではかわいいPAZを見かけた。曲線の天窓かかわいい。
モダンな(literally)住宅。住んでみたい都市ナンバーワン(すっとぼけ) ステパナケルトは基本的にただの街。パリではない。
市内交通はバス(マルシュルトカ):1乗車 100AMD
共産住宅名物 道路横断洗濯物干し。
なんて高いところにあるんだろうと思ったら大ジャンプして干してるのではなくてベランダで滑車を回すとロープが周回してくる。
We are Our mountainsの像
ステパナケルトで有名なのは夫婦の像だ。1度行っておけばいい程度のガッカリ系代物だが対外的に有名なのはここだけだから行かないわけにもいかない。アルツァフのマーライオン。旅行先で会ったアルメニア人もアルツァフは大して見る物は無いと自覚していているようだった。
アルツァフに来たこと自体が達成感があるしそれでいい。
ステパナケルトの街を南東に歩くと街の終端が現れる。そこから建物が少なくなり広い草原と山々が見えて目的の赤い像が見えてくる。道路は直線で緩やかな下り坂を下っていく。
像は小高い場所に立っていて、小山をぐるりと緩やかな階段が像まで伸びている。像の周りにはお土産やの小さな建物もあるが冬季だからかしまっていた。ときおりアルメニアナンバーの車が駐車場に止まっては観光客が像へ上っていく。アルメニア人にとっての観光地なのだろう。セルフィで集合写真を撮ったりしている。
24時間営業。無料。
アクセス ステパナケルト中心部から2km
庁舎
庁舎.. のはず。google mapだとプロットされていない。誇らしげにアルメニアとアルツァフの国旗。
住所は Ul. 20 Febralya, 3 (2月20日通り3番地)
2/20ってなんの記念日なんですかね。
Stepanakert History Museum
ステパナケルトを代表するような名前の博物館だけど小さい。入り口から左右に展示室があるだけ。
民族衣装や模様がある絨毯が飾ってある展示室がひとつ。もう一つは戦争を伝える博物館だ。アゼルバイジャンとの戦争で殉職した人の写真や、ナヒチェヴァンで破壊されたアルメニア人の墓地の写真がある。アゼノレはクソ!と伝えようとする意志を感じる。
今はどうなってることやら。
2019年に出来た母なる教会
Holy Mother of God Cathedral, Stepanakert
要約すると母なる教会みたいな名前。2006年着工で2019年完成というかなり新しい教会だ。ベンツのクレーン車が来ていて作業をしていたがこの数か月後に侵略されるとはこの時は誰も知らない。
宿泊 ステパナケルト
booking.comは使えない。宿はその場に行って自分で探すしかない。
バスターミナルから直線距離で真南に200mくらいのあたりに安いホステルが集まっている。個室で1泊1500円程度だった。
高級なところは僕は分からない。
カラバフの通信
カラバフで唯一の通信事業者はカラバフテレコムだった。3Gすげぇ!
自分はSIMが高いといううわさを聞いて契約しなかった。今www.kt.amにアクセスしようとすると何も表示されない。
Shusha
僕はいまだにSUSAなのかShushaなのか寿司なのかわからない。Shusha
元はアルメニア人とアゼルバイジャン人が両方住んでいたそうだが、1920年にアゼルバイジャンによる大量虐殺でアルメニア人は消滅し、1992年にカラバフ紛争でアルメニア人のものになり、2020年にアゼルバイジャンが取り返した。
SUSAまではマルシュで行ける。ステパナケルト-SUSA 片道 200AMD
マルシュが山をどんどん上っていく途中にアルメニア軍の戦車のモニュメントがある。蓋が開いたので勝手に中に入って遊んだ。
Shushaの街の入り口。Shushaの標高は1400m以上あり普通に寒い。
見た目は新しく見える。建造は1888年だが、アゼルバイジャンの占領時に衰退し、1998年に再建されているとのこと。
2月訪問で屋外はすこぶる寒く急いで中に入った。内装は豪華ではない新しめの教会という感じ。絵画は少ないが多少飾ってある。見るものは少ないので帰ろうとすると、修道士が珍しい客をみつけたからか話しかけてくる。彼は祭壇の下に面白いものがあるというのでついていくと、祭壇横を通り過ぎる。普段見れない場所だからラッキーだ。
階段を下ると円形の地下室があり、中心部に光が差し込んでいる。彼は中心に立つよう私に言った。その光が差し込む中心部に立っていると彼の声が、普通の聞こえ方でなく頭に響くように聞こえる。地下室の構造のおかげで、修道士は向かいの壁に話すと反響し、中心にいる私にも声が聞こえるのだ。修道士によると外国人観光客は珍しいらしい(アジア顔ならなおさらだ)。彼に礼を言って去った。
2020 Ghazanchetsots Cathedral shelling – Wikipedia
この修道院は2020年のアゼルとの紛争で破壊されてしまったが、破壊された後も気合が入ったアルメニア人が天井のない修道院で結婚式をあげたという。(2020.10.24)
Photos: Wedding celebrated amid Nagorno-Karabakh conflict
修道院入場無料。地下室は運
Shusha 博物館
博物館 入館料:250AMD
博物館というか兼美術館といった様子。室内は絵が飾られて屋外は遺跡が多数置いてある。
アルツァフの修道院巡り
アルツァフの2つの修道院と1つの温泉を回った。
VENG-DAFIVANK-温泉を合わせてタクシーをチャーターするのが一番効率が良い。1万円程度で貸し切れる。
そこまで金をかけたくないならStepanakert – Vengまで朝のバス、そこからすべてヒッチハイクをするのもありだが温泉へ行く道は林道で温泉に行く自家用車を持ったアルメニア人観光客が通り過ぎるのに賭けるしかないから全くお勧めしない。
Gandzasar Monastery (VENG)
ステパナケルトからVENGの修道院まではステパナケルトからマルシュで行ける。午前中のバスがあるが、本数が少ないのでお早めに。1時間 800AMD。
VENGは修道院のふもとの町で、はるか山の上に修道院が見える。地図で見ると修道院まで3kmくらい。街の外れの売店を歩いて通り過ぎて、曲がりくねる道を1時間以上かけて到着する。こういう徒歩があるので素直にステパナケルトからタクシーを雇ったほうがいい。
Gandzasar Monasteryはドームが有名だ。メインの建物は1216から1238年にHasan-Jalal Dawlaによって建てられた。アルメニア教会建築のなかで最高ともいわれるそう。
第一次ナゴルノ・カラバフ紛争で、1992年と1993年に破壊を受けた。戦争後2000年から2002年までのヴァンク出身の実業家の資金提供により修復された。聖堂まで続く道路は舗装されているのはこの時に舗装したそう。
これがドーム。
アルメニア教会の内装は大抵シンプルだ。
Gandzasar Monasteryの博物館
Gandzasarの修道院の横は博物館がついている。聖堂の入り口に向かって左手に位置する。6世紀頃のイコン画や地図がガラスケースの中に展示されている。
DADIVANK Monastery
世界的有名修道院 DADIVANK
幹線道路が通っているのでヒッチハイクでも行ける。おすすめはしないけど
Dadivankは3世紀から8世紀には既に宗教的集落があったと存在していたようだが、建物の建造が言及されたのは9~13世紀だそう。
18世紀以来、この地域はトルコのカラバフカナーテの支配下にあり、19世紀以降はロシアのカラバフ州にあり、1922年以降は当時のナゴルノ-カラバフ自治州の国境のすぐ外にあるアゼルバイジャニソビエト社会主義共和国にありました。。アルメニア人のほとんどは18世紀までにこの地域を放棄し、トルコ人とクルド人の入植者に道を譲り、それ以来、修道院はますます崩壊してきました
とのこと18世紀頃からしばらく放棄され、1994年ナゴルノカラバフ戦争でアルメニアが勝ち取った。戦争終結後修道院は再開。2004年から2005年アルメニア系アメリカ人の実業家Edele Hovnanianからの資金提供で改修が行われた。
左の円形の棟が大聖堂、右はハッサン聖堂という。
https://de.wikipedia.org/wiki/Dadiwank#/media/Datei:Dadiplan.png
大聖堂の中にある13世紀に書かれた壁画を修復したと、看板の説明書きがあった。これは2015から2017に修復したそうだ。修復した壁画のひとつNorth Wall。(South Wallも修復している)
ところでここがソ連時代に破壊されなかったのは、アゼルバイジャンクルディッシュが住んでいて、その時壁が汚く壁画が隠れていたおかげだったとの事…
https://ru.armeniasputnik.am/amp/columnists/20170918/8697729/dadivank-kak-azerbajdzhanskij-kurd-spas-freski-karabahskogo-monastyrya.html?__twitter_impression=true
“古い教会”というのがあるが、古すぎて屋根がない。
Dadivank 入場無料
ここは世界的有名なので僕は破壊されてないか心配になったが、一応紛争後はロシアの平和維持による保護をされているらしい。
Dadivank Under Russian Peacekeepers’ Protection
Perspectives | Now comes a Karabakh war over cultural heritage
Left Behind? Churches, Monasteries Due For Handover To Azerbaijan
アゼルバイジャン的にはアルバニア(バのほう)が作った歴史があると認識してアルメニアのものじゃないから破壊しないつもりのようだ。
#Khudavang monastery is one of the best testimonies of ancient Caucasian Albania civilization.Built in 9-13th century by wife of Albanian prince Vakhtang in Kalbajar region of #Azerbaijan,this complex is composed of Church of Arzu Khatun,Church of Hasan, basilica and 2 chapels pic.twitter.com/ZrmVLztPQS
— Anar Karimov 🇦🇿 (@Anar_Karim) November 11, 2020
Zuar Hot Spring
Zuar Hot Springという温泉がアルツァフの山奥にある。幹線道路から南へ分岐した怪しい未舗装の林道を進んでいく。林道の途中に小さな村があり売店が営業しているがそのほかは買い物ができない。
トリップアドバイザーで8件しか評価がないので割と無名かもしれない。無名なだけあって無料で入浴できる。
温泉の湯量は豊富で常に湧き出している。離れた源泉からパイプを引くような邪道ではなくまさにお湯が出ていてかけ流しだ。岩は硫黄が付着したようで茶色のベースの上に白いものがついて縞模様。湯はそのまま川に捨てられている贅沢さ。
完全に露天だが四角い目隠しの着替えるスペースはいくつかあって勝手に使っていい。
一応周囲はキャンプ場として営業していて管理人がいる。テーブルを使って食べようとしたらテーブルを使うなら金がかかるみたいなルールがあった。(結局ヒッチでのせてくれた人のボンネットをテーブルにして何かの強い酒を飲んだ)
入湯:無料
ぜひともご旅行に役立ててください。