I need get out of here
イランから早く出てぇ。
僕は一心だった。
僕はこんなクソな国からとっとと出たい。ソ連に戻りたいんじゃーという一心だった。だからペルシャ湾沿いイランで最も南の街バンダレ・アッバースから夜行列車、テヘランで1泊もせず夜行バスに乗り次いで一心不乱にアルメニアを目指していた。本当にイランを去りたかった。
バンダレ・アッバースはイランの南東、アルメニア国境はイランの北西、実質イランの端と端である。ググると2315kmあるらしい。2000km越えを空路を使わず48時間で走破したくらい本当にイランを去りたかった。
イランがどれくらいクソかというと上記のテヘランでの夜行列車と夜行バスの乗り継ぎの間にイランの汚職警官に賄賂を渡してマイ携帯電話を取り返していた。
もううんざりだ。何で悪くない僕が金を払わなきゃいけないんだ。無駄になった僕の時間の分時給を払いやがれ。海外で物をパクられるのは完全に自分の不注意、自己責任である。しかしそんな常識的で理性的な事は完全に頭から吹っ飛んでおり思考は自己中心的である。僕がアンドレイ・サハロフだったらテヘランに水爆落としてやったのに。くたばれイラン人。
これでどれだけ僕がイランから脱出したかったか理解できるはずだ。
イランの貨幣も紙幣も今後役に立たない。タブリーズからはタクシーを使いJolfa で乗り継いでNordoozへ。元々イランのタクシーは安いしこの国から早く出られるならもう何でも良かった。金ならくれてやるから早く出してくれ。
実はイランの電子ビザの紙を無くしてやばいかと思ったが出国審査は緩くハッタリも交えつつ首尾よく突破。ようやく安全地帯旧ソ連の一員アルメニアに入れるぜ。いえーい。
いえーい処ではなかった。
アルメニアに入った途端事件は起きた。否、イランの時点で既に事件は始まっていたのだが。
アルメニア入国時に体温で引っかかって病院送りになった
日が悪かった。丁度中国のコロナウイルスが世界中のニュースというニュースを駆け巡っていたころ。僕は発熱した状態で国境を越えようとしていた。否、僕自身は多少体調が悪めだけど大したことは無く発熱しているとは思っていなかった。
国境はイランとアルメニア間で陸路だ。アルメニア入国スタンプを押される前に2人の医療関係者らしい男女が居り歩いてくる人々をサーモカメラで見ていた。
サーモカメラを見ながらアルメニア語で何か言っている。
はいどうぞと通す感じではない。訝しむ顔つきだ。
正面でなく右を向けという。向きが変われば体温が変わるわけでは無いだろうが、USB-TypeB の調子が悪い時がちゃがちゃと少し斜めに差し込んだり角度を変えて接触不良ではないかと模索するみたいなものだろうか。
しかし駄目だったらしい。
「こっちへ来い」
別☆室
まさかこんなマイナー国境で検査が行われているとは。アルメニア検疫は優秀である。そしてアルメニアは優秀だったので保菌モンキーにしか見えない間抜けなアジア人は水際対策で見事ひっかかってしまった。
別室で衝撃の体温
入国審査の建物の別室。というか別室ではなく板で囲ったような部屋だ。もし僕が本当にコロナ感染者だったらこんな仕切りで大丈夫かという感じだし、目の前の医療関係者にもうつりそうだ。
体温計を渡され図ってみる。
38.9度
は?
あまりにもアレなので再度図る。
39度。
意味ねえ。
入国のサーモグラフィーではこんな感じだったに違いない。
原因
なんでこんな高熱になったかは心当たりがある。それはイランだ。
イランのヘンガム島という限界離島でのことだ。僕はゲストハウスに泊るつもりだった。しかし島へ向かう船で若いイラン人に一緒にキャンプしないかと誘われた。断ればいいものを僕は断れない日本人だ。
ワイ「I dont have shraf. 」
イラン「It’s just a camp」
僕はもっと抵抗しておけばよかった。しかしイラン人にジャストアキャンプと言われると何かそんな気がしてきた。加えて宿代が浮く。流されやすい日本人である。さらにここはペルシア湾沿いでそんなに夜間も寒くならないだろうし着こめば大丈夫なのではと思い始めた。
ペルシャ湾沿いでも夜は寒くなります。
ですよねー。
翌朝完全に体調を崩し、頭痛がし、だるいしかなりヤバかった。彼らはもう一泊限界離島ヘンガム島でキャンプするらしいが僕はいそいそとケシム島へ帰った。
イラン人に誘われるまま僕はキャンプをしてしまったのが原因である。やめときゃよかったのにねぇ。
ヘンガム島でキャンプをしたのが1月25日から翌26日アルメニア入国が1月29日
4日間ずっと引きずっていたわけである。
体温39度とは衝撃である。4日間もこれを引きずって歩いていたが、思い返すと確かにずっと怠かったし、何もやる気が起きないから駅で4時間ぼーっと座ってたりした。それはそれで駅でパンデミックを起こしている気もするが。
風邪の状態でイランの乗り合いタクシーや夜行バスや普通のタクシーに乗ったわけだから乗り合わせたイラン人一般市民や運転手には申し訳ない事をしたなあと思った。特にJolfaからアルメニア国境の街Nordoozまで乗ったタクシー運転士のおじいさんは無茶苦茶良い奴で、なんと30年(だったはずうろ覚え)もアゼルバイジャン国境Jolfaとアルメニア国境Nordoozの間を観光客を乗せ走っているらしい。英語は必要最低限しか話せないが、ぼったくらないし(65kmを700円で提示してきた!もちろん適正価格だ)、国境付近なのにフォトオッケーと言って陽気だった。彼に高熱が移ったとしたら申し訳ない。夜行バスで見ず知らずの人々にもうつったとしたら僕はイラン人を平均的には好きではないが個々人に対しては流石に申し訳ない。
問診
アルメニア入国直後の問診にこたえる-厳密には入国できてないんだが。
問診は始まった。
これまで中国に行ったことがあるか?ニエット。いつ日本を出発したか?去年の8月だ。どのような旅程だったか?旅程は既に5カ月以上旅行しているので説明するのは大変だ。というか今更「ウラジオストックで何日滞在した?」なんて聞かれても覚えていないのであるから適当に答える。コムソモルスクナアムーレ、ヤクーツク、アナパ、思い返すと懐かしい地名でほっこりするんだが一応検疫で引っかかった身なのでリラックスしている場合ではない。
主に僕に質問をしてきた医療関係者の男の方は優しい人柄がにじみ出ている。どんだけ旅行してんだよみたいなリアクションだ。アルメニアの人は落ち着いていて僕も落ち着いてくる。イラン人の騒々しさとは大違いだ。女性の方は可愛かった上に何か錠剤をくれた。解熱剤だろうか。
「旅行中に中国人と会わなかったか」という質問もあった。
私としてはヘンガム島で無理なキャンプをしたのが原因だろうと言いたい所だったが原因を決めるのは向こうの仕事だし上手くコミュニケーションできる自信が無かったし黙っておくことにした。沈黙は金である。
その後病院からちょっと偉いらしいおじさんがやって来た。何かロシア語で僕に言っていたが聞き取れなかった。
もう一人、僕が座っているブースをスマホで動画を撮っている男が居る。確かに今大絶賛話題の中国保菌モンキーが、アジア人が来るのすら珍しい国境で、水際検疫で引っかかったのである。シチュエーションとしては面白すぎる。ただ僕は見世物ではないので動画を撮るのは辞めてくれよと言いたくなったがこちとら39度あるので何も言う気力は無い。僕は無力な保菌モンキーである。
先程の優しそうな医療関係者(男)は「君は病院に行かなければならない。熱が高すぎる。熱が下がったらまた旅行を続けられる」という。
そうこうしているうちに救急車が来た。
救急車
僕は医療ブースに座ったままパスポートを審査官に渡すとパスポートは3分でスタンプを押されて戻された。特別待遇である。
座ったまま入国審査。
入国後はドライバー付き専用車両で護送である。こんなに好待遇な入国は初めてだ。いえい!よくねえ!
病院の駐車場に留まっていたUAZの救急車。自分はこれには乗っておらず新しいGAZだった。大災害でけが人が多い時はこのUAZを使うのだろうか。乗りたかった。そんなこと言ってる場合かーい。
病院(個室)
病院に着くと裏口らしい場所から院内に入る。病院名が書いてある出口と反対側だ。病院自体はそう大きくない。1階建てだった気がする。
僕が入室する個室は、丁度おばちゃんがめんどくさそうに掃除をし終えるところだ。めんどくさそうな態度素晴らしい!ソ連だ!いえい。
採血
僕は注射器が嫌いである。怖すぎる。
怖いのでよく覚えていない。
肺の写真(たぶんレントゲン)
肺の写真を撮るということはやはり「新型肺炎」疑惑なのだろう。
ちょっとアジア系の顔のレントゲン技師に促されて機械の前に立つ。その機械に妙な格好で肩を押し当てる。そういう撮影方法なのだろう。レントゲン技師は最初はそんなに話さなかったが、肺の写真を2枚撮ったあと、香港や中国の映画俳優ネタで話しかけてきたので僕はジャッキーwと言って返した。この病院にはいい人そうなのが多い。
点滴
僕は点滴が嫌いである。何しろ怖いのである。病院とはいえ治療とはいえ体に鋭利な物体を差し込むのは動物的に無理である。そして採血よりも怖い。採血なら血が減るだけである。しかし点滴の場合、悪意のある人物がニコチンを解かし点滴に混ぜる可能性もある。そんな可能性ねえよ!って感じだが不可能ではないし確率はゼロパーセントではない。こじつけだけど。これはアルメニアだから怖いとか海外だから信用していないわけではない。日本でも絶対嫌だ。
ところで僕は39度の熱がある全てを諦めきった保菌モンキーなので、諦めて腕を差し出すことにする。世の中の点滴を受けている人はみなこういう気持ちなんだろう。嬉しくてこんなことをする人間は居るまい。
看護婦は微妙に吸血鬼というか怪しい感じの痩せ気味のおばちゃんであった。僕の右腕に注射を指す。僕の腕は血管がよく見えているのですんなりと刺さったようだ。
しかしこの針が腕に刺さったままのムズムズ感はとても嫌だ。僕は現実逃避するためにパルマ島(スペイン)の浜辺のレストランで昼間からワインを飲みながらぼーっとするシーン想像をした。
ここはパルマ島 南の島 ビーチ (ブツブツ)
ここは病院ではない
(ブツブツ)
点滴こえええ―
ネットの無い世界
天井を見上げて呆然としていた。何しろ入国後SIMカードを買う暇もなくいきなり救急車だったのでネットが無い。病院にはWifiなんて親切なものは存在しない。
ギャルなノベルゲームで病気の女の子が暇だから世界中の地図を暗記したみたいな話は何だっけ。あれはナルキッソスだっただろうか。完全に同じシチュエーションである。僕はこれまでの人生経験で花粉症といった些細な病状から地域の医院にかかったことはある。しかし大病院で入院した経験が全く無く大病院へ行く用事はもっぱら「病院内郵便局」に旅行貯金するくらいだ。
今ようやく患者の気持ちが分かった。マジで暇である。
天井ばかり見ていても仕方ないのでブラインドの隙間から外を見るとカフカス山脈の山並みが見える。ここはかなり立地は良い。療養するには良いかもしれない。
天井に浮かぶSUSHI
人間やることが無くなると最後に考えるのは飯のことなのである。
そうなのである。
僕は日本食が恋しくならない系ジャップ上位5%に入ると自負している。海外に何か月も行っても特に日本食を食べたいと思わない。だが今、寿司ラーメン吉野家のことを考えている。スシが天井を泳いでいる。
否、SUSHIでいい。パチモンでさえ。あのねっとりした米と塩分濃度が高すぎる醤油、ひんやりした魚肉が食いたいのである。39度という高熱で精神が弱っているからだろうか。普段では絶対あり得ないほど日本食が食べたいのである。
これは一時的な症状で退院したら治りあんま食べたくなくなった。
水が無い
水が全く貰えず喉が渇いて困っていた。ここは日本の病院のように(日本の病院には世話になっていないので想像で言っているが)、至れり尽くせりではない。つまり言わないと水は出てこない。
そこで当直らしきおばちゃんに「ヴァダ」と言ってみた。
おばちゃんは僕の個室に入ると便所(有難いことにこの個室は便所が部屋内にある。東横イン並だ!)の手を洗うための水道の蛇口をひねって見せた。まるで「水なら出るぞ」と言わんばかりに。まるでじゃなくて実際そうなんだろう。
ええ….
と思っていたら2分後ビニールコップを二つくれた。
1つ落としても代替があるから親切だ。しかし便所の手洗いの水道からくめとのお達しだ。コロナ隔離人間にミネラルウォーターなどない。まてまて武漢市のガチ閉鎖都市病院や船舶に生き埋めにされている人を考えれば天国ではないか!(それらのニュースは後で知ったので僕が入院している時点では知らない)
窓の外は美しいコーカサスの山肌。ロケーションは良い。
この付近は山間部で水道はまずくない!
次第に「悪くねえな」という気分になってきた。
夕飯が来ない
夕飯が来る気配が全くないのだが隔離患者コロナに食わせる飯なんて無いという事か。悲しすぎる。
そこで気づいた。
点滴が飯の代わりだったのか。そんな僕病状が悪いのかよ。とはいえ39度なので反証の余地は無い。
錠剤
看護婦から錠剤を貰ったのでとりあえず飲むことにする。殻になった容器をゴミ箱にぶち込む。
待て。
何だったんだろうか。元々ほぼ空のゴミ箱でそう汚くはあるまい。
Tamiful
なんかタミフルって書いてあるぞ。僕はインフルだったのか?
しかし辺りは暗くなり聞く人もいるまい。というか僕としてはタミフルだろうがインフルだろうがコロナだろうが狂犬病だろうがどうでもいいのである。病名を知ったところでどうにもならない。どうせ人間は死ぬだけである。
どうでもよくなったので僕は眠りについた。
2日目
朝飯
朝チュンチュン。
アルメニアで最初に迎える朝が病院のベッドだと誰が思っただろうか。
日が出てしばらくすると朝食が出てきた。おめでとう!やっと何か食える。いえい。
①冷たいパンX3
いちごジャムがあればあなたのQOLは50%上昇するだろうと専門家は指摘している。しかし何もないので以下の多すぎるジャガイモと一緒に食した。
②多すぎるじゃがいも
大量のジャガイモ。原価が低そうな食品である。こんな病気な時に食える量ではない。といいたいところだがイランでずっと食欲がなくあんまり食べていなかったので、結局全部食べた。どうせ暇なのでゆるりと咀嚼する。
アメリカの病院みたいに(アメリカで入院したことないので偏見だけど)豪華絢爛デブまっしぐらこれじゃ病状が悪くなるだろフードコートとは違い質素そのものである。
③冷たい卵
完熟で既に冷めていた。だが久しぶりの卵でそこそこ美味しかった。
退院同意書。読めない筆記体
朝飯を食べ終えて10時頃、40代と思われる男がやってきた。彼は主治医だという。これまで看護婦かレントゲン技師くらいしか見ていないので殆ど見なかったけれど一応基幹病院らしく関係者が多いという事だろう。
主治医はロシア語で説明してきた。
僕はロシア語で病院で使う単語など分からない。切符を買うか道を聞くか自己紹介をする程度しかできない。主治医は僕がロシア語がほぼ分からないと理解するとgoogle Translateでこう見せてきた。
「これ以上入院を希望するか?」
「希望しない場合、同意すれば退院できる。」
こんな内容だったと思う。僕は同意すると行った。ダーダー言った。
そして最大の謎「僕はインフルエンザだったのか」を聞いてみた。
主治医はロシア語で何か言っていたが僕のロシア語スキルの低さのせいで結局わからなかった。
「見た目に騙されてはいけない。真実はいつもひとつきりです」ヤナーチェックのシンフォニッタ「べべべべーーん(聞いたことない(それは第九だろ))」
ひとつきりのはずの真実は闇に葬られ、謎は謎のまま終わった。(完)
数十分後1枚の紙を渡された。どうやら退院に同意しますと書いてあるらしいんだが、яとПоしか読めなかった。筆記体だからだ。まじでわっかんねえ。
とりあえず分かったことにしてその紙を看護師に返した。
いきなり多すぎる昼飯
僕はまもなく退院できるかと思い込んでいた。アルメニアの病院はホテルでもファストフード屋でもないのでそんなにすぐに事は運ばない。同意するか聞かれてから退院まで3時間かかった。
ともかく昼時間を回り昼飯が出てきた。
デーーーン
多くね?肉がこんな多いの?病人よ。流石に食べきれなかった。
祝開放
昨日看護師が頻繁にパスポートを持っていったり戻したりしていた。何か医療補助の申請に使っていた可能性が高い。
僕が言い渡された医療費は20000ドラム。
5000円以下である。これでは病院ではなくアパホテルである。
僕はアルメニア人の血税で賄われた医療保障を使いつぶしてしまったらしい。
- 救急車出動
- 個室入院
- 採血
- 点滴
- レントゲン
- 大雑把とはいえ2食のメシ
- タミフル8錠お持ち帰り+病院内で2錠
いくらアルメニアとはいえこのメディカルトリートメントを受けて安く治療が済むはずがない。医療費タダ乗りアジア系保菌モンキーである。誠に申し訳ない。今後アルメニアに足を向けて寝られない。いや、現時点ではアルメニアに滞在中なのでいかなる方向に寝ても必ずアルメニアに足が向いているので既にバイオレーションしている。重ねて申し訳ない。
結論
出入国の際には体調を整えてから熱が通常の状態で行きましょう。
特に今の情勢では入国拒否が余裕であり得ます。(てか健康でも渡航歴で入国拒否が発生してるし)
コロナのせいであらぬ嫌疑がかけられやすいので今この時期2020年冬こそは熱があるまま国境に突入するのはほぼ無理ゲーです。
そういや成田空港にも入国時にはサーモカメラがいつも設置している。
陸路国境突破という人質
考えてみればこれが空路だったら空港でリターンさよならも可能だったわけだ。審査官の気分次第でそれも出来る。
陸路だと今回の場合まさかイランとアルメニアの間に僕を放置するわけには行かない。ビザの関係上イランに戻れとも言えない。僕を入国させて病院送りにするしかなくなる。
俺を見捨てるのかァ?
入国はできる!無茶苦茶セコイ奴である。
関係各所に大変ご迷惑をおかけした。すみません。
いずれにしても心身健康な状態で入国しましょう。
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